イノウエアキヒコのうつわ

プロフィール

いいかげんな

不良になれず、優等生にもなれなかった 十代。
自分のことばかり考えて・・・別の自分に期待してのアメリカ生活‥‥
コンピュータではなく、自分の手で何か表現できればと考えて‥‥
そして土の道があった。
先祖からあずかった水門の土地。

生まれ育った総社の土と、ここ備前の土。
それらの土でカタチづくり表現する喜びを感じているいま‥‥「思いがあれば、技術はあとからついてくる」この言葉を信じながら、何か少し足りないいいかげんな「ふつう」をめざしています。

 

工房のご案内 (水門入口まえ)

岡山平野の南東を流れる千町川が、瀬戸内海の入り江にたどりつく場所にあるのが水門町。その大きな水門が目の前に見える、水門入口バス停まえに工房があります。
右手、北には千町川。水門でせき止められた川の水面は、静かに川辺の木々の姿を写します。
左手、南には水門湾。日々刻々と潮の満ち干がおだやかに表情を変えます。窓を開ければ潮風が工房を心地よく吹きぬけます。
うしろには地元の人々に愛される桜の名所、幸島山があります。
ここからは岡山平野が干拓される前の、島々や山並みの昔のままの姿を一望することができます。

 

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昭和30年ごろの水門入口まえの写真

入屋の由来

うちには屋号があります。

300年ちょっとまえ、備前国の伊里の地から、
ご先祖さまがこの地に入ってきました。

ぼくの祖父は、村長をやめたあと雑菓子屋「伊里屋」を昭和20年代後半
のころ開きました。出身地の名を屋号にしたんですね。これが伊里屋の
はじまりです。

うちには明治から大事に使われてきた数十枚の諸蓋(もろぶた)があります。お祝い事のとき、お餅などを入れるのに使っていたものです。
諸蓋を何度か新調していて、はじめは「伊里屋」と書かれていましたが、いつの頃からか、「入屋」になっています。

家が水門の入口まえにあること。昔から人の出入りがひんぱんであったこと。それらを喜んで先祖がきっと入屋に改名したのでしょう。
いまその諸蓋は窯道具として使っています。

イノウエ アキヒコ(井上昭彦)略歴
1959年 岡山県総社市生まれ
1980年 桑沢デザイン研究所卒業
東京にてグラフィック・デザイナーとして活動
1989年 アメリカに遊学
1990年 ニューヨークにてグラフィック・デザイナーとして活動
1993年 帰国
1994年 岡山にてフリーランスのグラフィック・デザイナーとして活動
1996年 山口 萩焼・坂窯にて修行
1999年 先祖の地 岡山県水門町に築窯
2003年 自宅工房にて「はじめ展」 。
以来、東京、九州、地元岡山を中心に活動中。

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